東京弁は感染るんです
我家は田舎なので、都会では見られなくなってしまった虫たちもまだまだ多く住んでいる。
毎年顔を見せるのがナナフシで今年も現れた。木にとまっていると小枝と区別がつかないが、写真のように壁にへばりついている姿はまったくまぬけである。 ナナフシの仲間には枯葉とほとんど見分けがつかないコノハムシなどがいるが、ナナフシにしろコノハムシにしろ小枝や枯葉を真似ているということは、自分の姿格好が自分自身で分かっているからだと思うのだが、どうやって自分の姿がわかるのだろう。まったく不思議なことだ。 自分の姿が見えない最近の人間よりもナナフシのほうが立派に思えてくる。
拾ってきた子猫、最初はグリーンの目をしていたのだが3ヶ月たった今ではオレンジ色になり、猫の図鑑で調べると「シャルトリュー」という種類にそっくりなってきた。
シャルトリューはフランスの猫でその美しい被毛から毛皮が珍重されたため絶滅寸前にまでになったそうで、日本でも手に入りにくい品種らしい。 シャルトリューは「人に対してはもっとも攻撃的でない猫」ということなので、カミカミしたり引っ掻いたりするウチの猫がシャルトリューだということはあり得ない。 しかし、どう見ても日本の猫ではないと思う。なぜこんな猫が捨てられていたのか不思議である。 (捨てる神あれば拾う神あり。。。だれが神やねん。)
大抵の男の子は乗り物と恐竜が大好きで、これは大人になっても変わらない。
今幕張メッセで恐竜博が開催されているので、昨日は電車を乗り継いで片道2時間半もかけて見に行ってきた。 乗り物と恐竜の両方が楽しめて一石二鳥である。 平日だというのに1時間半待ちである。列の様子を見ると、明らかに子どもよりもお父さんのほうが喜んでいるのがわかる。 私が子どものころには最大の恐竜と言えば全長25mのブロントザウルスと相場が決まっていたのだが、今では全長35m・体重45tのセイモスサウルスが最大の恐竜なのだそうだ。 相撲取りと一緒で恐竜も年々巨大化していくようである。
秋の気配はどこにも感じられないが、今日から秋なのだそうだ。
家の外ではアブラゼミがジリジリと油が煮えたぎるように暑苦しくやかましくないている。 我家は山が近いので朝夕はヒグラシがカナカナと涼しげに鳴いているが、やはり秋といえばツクツクボウシである。 子どものころはツクツクボウシの声が夏休みの終わりを告げる合図にも聞こえて、この声が聞こえるとなんとなく物悲しい思いがしたものだった。 ウチの会社の今年の夏休みは12日までで、あと休みが4日しかないと思うとツクツクボウシが鳴かなくても物悲しい。
今日8月1日は、相模湖で花火大会が開かれる日である。
JRでは臨時電車が運行されたり、相模湖ピクニックランドが午後5時以降入園料が無料になったりと結構な賑わいになる。 花火というと江戸というイメージがあるが、生まれは上方で戦国時代に鉄砲など火薬産業の中心地であった堺あたりが発祥の地らしい。 打ち上げには大金がかかるのに一瞬で消えてしまい、なんの儲けにもならない花火は当時の大坂人(当時は大阪ではなく大坂)には受け入れられなかったらしいが、江戸っ子には大人気だったそうだ。 今日の花火大会で美しい花火が見られるのは、儲けにならなくても粋がっている江戸っ子のおかげである(かも)。 |