東京弁は感染るんです
昔話をするときは「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんがおってんといなー」と言っていた。東京弁では「お爺さんとお婆さんがいたんだってさ」ぐらいになるのだろうか。大阪弁では「誰々が居る」の尊敬語を「誰々が居てはる」と言うが、神戸弁では「誰々がおってです」と言う。「〜おってんといなー」を大阪弁で言うと「〜いてはってんてぇー」になる。
祖母は、私の年代(昭和30年代)では使わない(ただし聞くとわかる)ような言葉を使っていた。「臭いを嗅ぐ」を「カザかす」、「問題ない、とか大丈夫」ということを「べっちょない」などと言っていたが、私達の年代ではまず言わない。「酸っぱい」ことを、私の母の年代(昭和ヒト桁)くらいの人たちは「すい」と言うが、私達の世代では「すい」と言わず「酸っぱい」と言っていたよう に思う。
東京にいなくても、東京弁は感染する!?
東京に来たとき、なんとも変に思えた駅名に「御徒町」と「高田馬場」がある。
「御徒町」はまず、読めない。おかちまちって、読み方もおかちい。東京弁感染末期の今では御徒町と聞くと、アメ横の雑踏が頭に浮かんでくる。
尾篭な話で恐縮ではあるが、「ばば」って聞くと関西人は普通、大便のことだと思うのではないだろうか。高田馬場(たかだのばば)ねぇ。。。
昔々、関西人の友人と北海道へ旅行に行った時、途中のフェリーの中で、見知らぬ人に「関西ではウンコのことをババっていうんですかぁ?」と聞かれたことが、今でも思い出される。
ガラの悪い関西人が大声で「お〜、ちょっとババしてくるゾ」とでも言っていたのだろうか。
上方落語を聞いていると、たまにわからない大阪弁に出くわすことがある。例えば、住吉駕籠(すみよしかご 東京落語では蜘蛛駕籠)という落語があるが、酔っ払いが駕籠屋をからかう場面で、酔っ払いが「・・・・ほら、前、磯屋裏に住んでた、顔に薄みっちゃのある、河内の狭山の 治右衛門さんの孫・・・」というところがあるが、この薄みっちゃがわからない。古い関西弁なのか、それとも神戸だけに通じない関西弁なのか。はなしのすじからすると、どうもソバカスのことらしいのだが、どなたか知っている方教えてください →
東京弁感染が悪化して、大阪弁もわからなくなってしまったのか・・・
関西では「兵庫・神戸のなんどいや」という言いぐさがあり、京都・大阪弁に比べてあまりきれいではない言葉だと思われている。東京弁の「なんだ」、大阪弁・京都弁の「なんや」、に比べ「なんどいや」ではやはり少々ガラが悪いと言われても仕方が無い。「何々している」と言うところを「何々しとー」と言うのも大きな特徴である。ひとを罵倒するときには「だぼー」という。「あほ」よりも「ばか」よりもキツイ言い方である。
神戸と大阪はわずか30〜40km程しか離れていないが、大阪では通じない単語もある。蝮のことを「はめ (はめ^ぇ) 感染 第0期で紹介した音節内に「さがりめ」のある言葉」、蟇蛙のことを「おんびき (おん^びき)」、ノコギリクワガタのことを「すいぎゅう」などと言う。これらの単語は大阪人の友人に通じなかったのでたぶん神戸特有の言い方だと思う。
東京弁に感染してしまった今では、とても懐かしい響きのある言葉に聞こえる。
「風が強くて傘がおちょこになった。。。」とかなんとか、ウチの嫁はん(東京人です)が言っている。関西では決しておちょこになるとは言わないのはわかっているのだが、なんと言うのか一 瞬出てこなかった。
2年に一度は神戸に帰っているが、そのときに風雨の中を傘をさして出歩くことは無かった。そのため、傘がまったけになって・・・という表現は20年以上聞くことも使うことも無かったのであ る。
傘が「おちょこ」になるなどという言い方は、東京弁感染末期の私でも恥ずかしくて使えない。
「出身どこですか」って聞かれて、「神戸です」って言うと「へぇー、神戸なんですか。訛りありませんね。神戸って関西弁じゃないんですか?」やて〜。何聞いとんねん。ちゃーんと、関西弁のアクセントで喋っとーやろ! それとも、そこまで東京弁に感染しているということか。
PCの日本語入力システムにMicrosoft IMEを使っているけれど、「かんさいべん」は関西弁と変換できるのに、「とうきょうべん」は当強弁になってしまう。
もちろん辞書に登録したが、東京の言葉が標準語やから東京弁なんて存在しないとでも思っているのか。関西人は標準語は関西弁で、東京弁は第2標準語やと思ってるんやゾ!
(。。。んなこと誰も思てへん?)
昔は、関西では納豆などあまり売っていなかったように思う。
家族の中ではもちろんそのようなゲテモノを食すものはおらず、納豆を食べた後の茶碗は他の食器と一緒に洗うことを許されなかった。
「そんな臭いもん、ほかの茶碗と一緒にせんと、自分で洗いー」(洗いー は東京弁で言うと 「洗え」 と言う命令形)と母に言われたものである。
今思えば、その頃から東京弁に対する免疫力が弱かったのかも知れない。
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