東京弁は感染るんです
今朝は自分のアナウンスに陶酔しているとしか思えない車掌に遭遇してしまった。
普通に次ぎに止まる駅名ぐらいを簡潔に伝えればよいものを、やれ戸袋に手や足や荷物を引きこまれないように注意せよだとか、どちらのドアが開くだとか、暑けりゃ窓を開けろだとか、優先席があるのでお年寄りや体の不自由な人や妊婦に席を譲れだとか、毎度のお願いであるが携帯電話の電源を切れだとか、うるさいを通り越してイライラしてくる。普通戸袋に足など引きこまれないと思うし、ラッシュ時にお年寄りや妊婦はまず乗ってこないだろう。 逆に何を言っているのか解らない車掌もいる。 往々にして、ウトウトしていて次ぎの駅がどこだかわからなくなったときに限ってこういう車掌に遭遇するのだ。 これも昔流行ったマーフィーの法則の一種に違いない。
今日は雨が降って気温が低いせいか、いつもうるさいアオマツムシが静かである。
そろそろこのやかましい虫の季節も終わりに近づいたようだ。 このアオマツムシ、明治時代に中国大陸から持ち込まれた帰化昆虫らしいが、図々しく我が物顔で大合唱しだしたのはここ10年ぐらいのことではなかったと思う。 昆虫にしろ植物にしろ外国産のもの日本の風情とかわび・さびとかが分からないらしく、やたら大声で鳴いたり派手な色彩であったりするものが多い。 やはり日本の秋はアオマツムシやセイタカアワダチソウよりもスズムシとススキがよく似合う。
赤ん坊の頃から電車を見るのが好きで、遮断機の点滅に合わせてウインクをしていた、と実家に帰ると今でも言われる。
ウインクしながら見ていた電車は山陽電車で当時は神戸―姫路間を走っていたが、今では阪神電車との相互乗り入れで大阪梅田でも山陽電車を見ることができる。 山陽電車は日本で最初にアルミカーを走らせた会社としても有名である。 小学校の校舎の窓から電車の線路がよく見えたので、授業をそっちのけでアルミカーが走ってくるのは今か今かと待っていた思いでがある。 三つ子の魂百までと言われるが、いい歳をして今でも電車は大好きである。 今日は日本で最初に鉄道が開通した日を記念する「鉄道の日」である。
昔はいたる所に生えていて花粉症の原因になるとかで嫌われていた花だが、花粉症のほうはどうやら濡れ衣だったらしい。
群生していると可愛げが無いが、一つ一つの花は可憐である。 この黄色い花を見るといよいよ秋も深まってきたと感じるし、なぜか子どものころ近くの原っぱで遊んだ光景が蘇ってくる。 最近は昔ほどの勢いがなく、一面にセイタカアワダチソウが生えていた所でも最近ではススキの方が優勢になっている。 奢れる者久しからずである。
近道なので毎日通勤の時は駐輪場の中を通って駅に向かう。
私は駐輪場の利用者ではないのだが、管理人は毎日挨拶してくれる。 「おはようございまーす」、これには普通に「おはようございます」と返事を返す。 「いってらっしゃーい」には「いってきまーす」と言うのも何か妙な感じがして、「おはようございます」と「いってきます」を合わせたように「おぅーーっす」といって誤魔化す。 問題は帰宅時の「お帰んなさーい」である。 「ただいま」というのも何かぶっきら棒な感じがするし、「ただいま帰りました」と報告する必要もなし、「お帰りなさい」に「こんばんは」も妙だし、何と挨拶をすればよいのか迷ってしまう。 いつも適当に「あぁ、どーもぉ」と言って誤魔化すのだが、何がどうもなのかか自分でもわからない。
図書館で借りてきた本に、何か解決したい難問を抱えていたらまず歩くのが一番であり、聖ヒエロニムスも「歩けば問題は解ける」と言っている、と書いてあった。
少々(いや、かなり)教養が足りないので、聖ヒエロニムスという人物が何物なのか全く知らないのだが、なるほどいいことを言っている。 走れば疲れるし、寝転べば眠くなるし、車を運転しながら考え事をすれば危険だし、飛行機で移動すればあまりの早さに考える時間すら無くなってしまう。 これだけ世界中に難問が蔓延っているのに解決の糸口がつかめないのは、人々が歩かなくなったからに違いない。 |