東京弁は感染るんです



今日の症状
(2005年8月の症状)

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2005/8/26 今度は「ういろう」についての薀蓄

「すあま」マニア(ご本人談)の平松温子さんは「すあま」だけではなく「ういろう」についてもお詳しく、「ういろう」についても色々教えていただいたので「すあま」に引き続き「ういろう」についても紹介します。


『  ういろうについてもぜひ教えてください!
ういろうが中国の官僚の名前に由来して、陳なんとかという人が陳外郎と名乗ってたから、というのはウスウスは知ってます。 』 (。。。と調子よくお願いしました。)


『  たぶん、私が知っている程度の薀蓄知識は、hirokunさんもご存知だと思います。
ざっと言いますと・・・
外郎・ういろう・ういろは、米粉(山口では蕨粉、三重では小麦粉)と砂糖を混ぜて蒸すという素朴なお菓子で、すあまに作り方もよく似ています。
よく元祖争い(小田原、山口、名古屋)を耳にしますが、元祖もなにも、単純な原材料、単純な製法なので、どこでも似たようなものを考えついても不思議じゃないと思うのですよね。

おっしゃる通り、語源は外郎(ういろう)で、中国の薬を扱う部署の官僚名が由来です。
元が滅んで明にとって変わった頃、日本に渡った外郎職(官僚)の陳宗敬(陳延裕とも)が外郎延祐(または陳外郎)と名乗って、秀頂香(とんちんこう)という仁丹みたいな薬を日本に伝えました。この辺りは諸説あり、延祐の息子が一度中国に戻ってから秀頂香を日本に持ち帰った、とも。(この薬の中国名は霊宝丹で、秀頂香は室町幕府将軍義光から賜った)
いずれにしても、外郎延裕が日本の外郎家(外郎という苗字がある)の祖で、外郎家が作っていた薬ということで、秀頂香も外郎と呼ばれるようになりました。

小田原の外郎(店名)では今でも外郎・秀頂香を販売していますが、あくまで薬なので、気安く服用してよいものではなく、症状を考えて服用しないといけません。
小田原の外郎の店内では、薬の外郎の傍らでお菓子の外郎も販売していますが、今はこのお菓子の方が有名ですよね。

延裕は当初博多に上陸し、その後京都に移りました。その後、何代か後の1504年、北条早雲の招きで外郎家は小田原に移ったのです。
武将や大名が城下町を形成する際、商人や医者などを率いて入府するというパターンは室町から江戸にかけてよく見られました。
例えば三重県松阪市は蒲生氏郷が郷里の近江から商人を連れてきて作った城下町です。
そういう城下町には未だに当時からやっているというお店が少なくなく、小田原の外郎もそのひとつです。

小田原外郎は当初は虎屋という屋号で店を構えていたので、江戸時代の広重の浮世絵などにも小田原の景色の中に「虎屋」の看板が見えたりします。
薬がなぜお菓子の名になったかというと、これまた諸説あります。外郎家で接待に出していたお菓子だったからとか、薬が苦かったので口直しとして添えたお菓子だったとか、外郎(菓子)の原形となった菓子の色や形が薬の外郎に似ていたからとか、小田原の外郎家は薬屋兼菓子屋だったので、両方とも外郎と呼ばれた、とか。

この小田原外郎が有名になったのは、江戸時代に歌舞伎の二代目市川団十郎が腹痛を起こした時、薬の外郎を飲んだところたちまち治ったので、お礼といってはなんだか、ということで外郎売に扮した曽我兄弟を演じたところ(歌舞伎演目「外郎売り」)、劇中の「ういらう売りの長せりふ」が評判となった、というわけです。
また、小田原は東海道の宿場町なので、この評判となった外郎は各地への土産・土産話にされて、全国に広まっていったと思われます。

他に全国的に有名なういろうと言えば、山口県のもの。特に御堀堂は有名です。
全国的に外郎の原材料としては米粉が一般的ですが、山口のういろうは蕨粉を使いますので、食感もまるで違います。
私は蕨餅や葛餅も好きなので、山口のういろうのむっちり、もっちりとした感じがたまらなく好きです。お味はあっさりとしていて、素朴で、これまた好きです。
お店によって味が違うんですけどね。昔からあるのは黒外郎、白外郎、抹茶外郎ですが、最近は夏みかんだとか柚子だとかを入れたものもあり ますが、やはり昔からの素朴なものが好きです。

近江八幡のういろ(これはhirokunさんオススメの神戸長田と同様、ういろ)も黒糖、白、抹茶の3色ですが、米粉が原材料なので、山口のものとは色が若干違います。
山口の白は、あんまり白くないというか、蕨餅に近い薄い茶色のような薄紫にもちかい色。近江八幡の白は真っ白です。
3色がスタンダードですが、個人的には白が一番好きです。抹茶や黒糖もおいしいですが、本来の味がごまかされやすいのですよね。白は、米の風味がきちんと出ます。
逆に、白がおいしくないういろ屋はダメです。近江八幡のういろは、店にもよりますが、ちょっと米粒がまばらに残っていて、それがまた食感のアクセントになっていいです。清治屋がオススメです。

名古屋のういろうは、江戸前期の万治2年(1659)創業の餅文総本店が前述の陳さん(外郎家)から直伝されたのが初めと言われています。餅文は今でも健在。
でも、名古屋のういろうの代名詞となっている青柳総本家(明治12年創業)の青柳ういろうは、正直、おいしいとは思いません(あくまで私見ですが)。
しこしこしていて、プラスティックを食べてるみたいだし、味も甘いだけという感じで、風味もなにもないです。
名古屋のういろうも米澱粉を原材料としています。
また、同じく名古屋の大須ういろ(神戸長田と同じくういろ)は更においしく感じません・・・。
大須ういろには内郎(ないろ)という商品もありますが、これは羊羹とういろのあいのこで、大須ういろが駄洒落感覚で作った商品名です。

三重県の伊勢を本店とする虎屋ういろ(これもういろ。大正12年創業)は、小麦粉のうき粉を原材料としていますので、また食感が異なります。甘めで、ちょっと重い(比重も、食べた感じというか、腹持ちも)です。
伊勢地方では明治頃から黒砂糖で作られたういろがあったようですが、これはたぶん、近隣の名古屋かあるいは近江八難(滋賀)のういろうをまねたものでしょう。
今では虎屋ういろはとにかくカラフルで、色んなバリエーションがあります。全部挑戦してみたいところだけど、その野望はまだ叶っていません。

私の母が作るういろうは、この伊勢風の小麦粉ういろうです。 母は友人から教わったようですが、東海地方でよくスーパーなどでパックに入って売っていたり、ローカルな普通の和菓子屋さんに売っているようなういろうは、この小麦粉タイプのものです。
家庭で作るには原材料も入手しやすいですからね。なぜか、厚い層と薄い層の2枚に剥がれるのが特徴といえば特徴です。

宮崎の青島でも明治初期からういろうが売られており、昔は宮崎のおみやげの定番中の定番でした。
今でも健在ですが、やはりお店によってお味が違うようで。
同じく宮崎県の佐土原にあるくじら餅(江戸時代に藩主のお家騒動から生まれたお菓子)は、簡単に言えば2枚のういろうの間にあんこをサンドしたもの、です。でも、くじら餅を語る上で「ういろう」という言葉はあまり聞いたことがないので、ういろうという認識はなさそう。作り方や材料はほとんど同じなのですが。

徳島の阿波ういろは、江戸時代の寛政年間に阿波三盆糖が出来た(この頃、日本国内での砂糖作りが確立)御祝いにと、三月三日の節句に蒸菓子を作ったのが始まりと言われています。
今でも旧節句には各家庭でういろを作って食べる習慣があるとか。

京都のういろうといえば、五建外良が有名です。こちらは「外良」。
建仁寺や六波羅密寺、清水寺への参拝客向けに安政年間に出来た茶店が始まり。
こちらのういろの表面には小豆がびっしり乗っていますが、これは6月のお茶席などに登場する「水無月」というタイプのお菓子です。
「水無月」は既に季節のお菓子としての市民権を獲得していますが(見た目は全国どこもほぼ同じで、白外郎や羊羹、餅状のものの上に小豆をびっしりのせて固めて、三角に切ったもの)、五建外良では通年販売していて外良と呼んでいます。
水無月は、江戸時代には氷室(冷蔵庫なんかなかった時代に氷を保存した場所)の氷に見立てて暑気払いに食べられていました。

そういえば、東京でういろうってあんまり見かけないかも。ありますか?あまりにも一般的で、私が見落としているだけかも。少なくとも、江戸時代からういろうを作っています、というような老舗は東京にはないですよね。
今度スーパーに行ったら、市販でどんなういろうを売っているのかチェックしてみます。

・・・神戸の長田のういろも食べてみたいです。どんな感じなんでしょうか。小田原のに近い感じですか? 』


小田原の外郎屋というのは、東京方面から国道1号線で箱根方面に進むとき、小田原でJRと交差する少し手前の右側(北側)に見える立派なつくりの店がそうですね。これは一度行ってみなアキマセンね。
無性にういろうが食べたくなてきた。。。




2005/8/25 「すあま」についての薀蓄

8月12日の「今日の症状」で関西ではあまり馴染みのない「すあま」について書いたが、フリーライターとして活躍されている「すあま」マニア(ご本人談)の平松温子さんから貴重なコメントをいただいた。
平松さんにHPで紹介させていただくことを了承していただいたので( 私だけの知識として独り占めにするのはあまりにももったいない。。。)「すあま」についての薀蓄を紹介します。


 『 先ほど、「今日の症状」を見ていて気付いたのですが、「すあま」に関して一言。
鎌倉時代に京都で考案された「すあま」は、hirokunさんが考えていらっしゃるかまぼこ状のすあまではないと思います。

今でもそうですが、京都の「すはま」は、豆の粉(ようは黄な粉)と砂糖や水飴を混ぜて固めた“押物”菓子のことで、和菓子業界で使うこのような生地を一般的に「すはま生地」と言います。
「すはま」とはつまり、州浜。州浜台に代表されるように、砂浜に打ち寄せる波が描く模様を指します。
もっと言うと、その砂浜は西方浄土の海にある蓬莱山の麓の岸を指します。
そんなわけで、古来、州浜は縁起ものとされてきて、前述の州浜台(結婚式の飾り台)などにも使われます。鬼瓦にも州浜型があります。

「すはま」という黄な粉を固めたような和菓子は、州浜模様に作ったからその名があります。サザエさんの頭みたいな形。今でも京都の老舗が作っています。
また、すはま生地のお菓子は京都に限らず、各地(東京含む)で見られます。

さて、問題の「すあま」の方ですが、これはおっしゃる通り、関西ではほとんどみかけません。私が知る限り、愛知県まで(岐阜県にもあるかもしれませんが、未確認)。
定番は白と赤のかまぼこ型で、かまぼこみたいにつるんとしたものもあれば、簀巻きで巻いた跡をつけたものも。また東京の一部では卒業式のお祝いに紅白饅頭ではなく「鶴の子餅」というすあまを配るところもあるとか。鶴の子もちは、すあまを卵型(でも、ほぼ平面的ですが)にしたもので、やはり白いすあま、赤いすあまの2色です。

ただ、これも地方によって様々で、静岡県の新居ではお醤油入りのすあまで、形もわらじのような形で大ぶりです(また、すあまとは呼ばず、すわまと呼ばれています。すはまの変形でしょう)。
岩手の方では蓬入りの緑のすあまもありますし、釧路では茶色と白を交互に織り込んだ模様のものなど、カラフルなすあまを見ました。
黒胡麻入りの白いすあまも(札幌)。すあまは北海道や青森のべこ餅にも非常によく似ていますので、北海道のすあまがカラフルなのはその影響かもしれません。

ちなみに、すあまに似た食感、味のものとして、ういろうがありますが(ういろうも様々で、これまた薀蓄が必要ですがここでは割愛)、イギリスでよく売られているターキッシュ・デライトというお菓子があまりにもすあまに似ていてびっくりしたことがあります。
ターキッシュというくらいだから、元はトルコのお菓子かも。だとすると、シルクロードで日本へ…?と想像が広まりますが、たぶんそれはないでしょう…。
ちなみに私は東京で市販されているすあまはあまり好きではありません。本当のすあまはもっともっちりしていておいしいです。

話は戻りますが、すあまができたのは、江戸時代中期〜後期のようです。場所はやはり江戸。庶民的なお菓子で、そんなに甘くないことから素甘・すあまと呼ばれたのではないかと言われていますが、紅白ということもあり、また前述の「すはま」と混じり、寿甘・すあまと当て字することもあります。

江戸時代に作られたすあまですが、その原形はおそらくもっと古くからあったと思います。餅より劣る餅っぽい食べ物、ですから。
「源氏物語」に出てくる「ふずく」というお菓子が、実はすあまのルートではないかと私は勝手に憶測しています。
「ふずく」が作られていた当時は砂糖なんてないので、熱い湯で溶いた餅粉にあまずらの汁を入れて突き上げたのですが、すあまの作り方に似ています。
(東京のすあまの食感がいまいちなのは、砂糖を加える順番を間違えているからではないかと思います。hirokunさんにももっとおいしいすあまを味わって頂きたい…)。

京都のすはまと江戸のすあまは全く別のものですが、言葉の響きが似ていることからごっちゃにされがちで、お店によっては「すあま」を「すはま」と書くところもあります。全く別物ですが、かたや形がおめでたく、かたや色がおめでたいということで、どちらも縁起ものではあるようです。 』


「すあま」というのはなかなか奥が深いお菓子のようである。
「ほんとうのすあま」をぜひ食べてみたいものである。
「ほんとうのすあま」を「たれぱんだ」に食べさせるのはもったいないような気がしないでもない。
「たれぱんだ」には私が食べたスーパーの1個84円の「すあま」(もどき?)で十分!?





2005/8/12 すあま

子どもの頃、素うどん(東京では「かけうどん」)はとろろ昆布の甘酸っぱい味から「酢」うどんだと思っていたと以前「今日の症状」に書いたが、すあま(素甘)という和菓子も「酢」を連想してしまい不味そうな気がして今まで食べたことがなかった。
「すあま」は鎌倉時代中期に京都の菓子屋さんで作られたのが始まりとう説もあるようだが、関西ではあまり見られない和菓子だと思う。
「すあま」は一時流行った「たれぱんだ」の好物らしいが、「たれぱんだ」の好物の「すあま」ってなんやねん?と思った関西人も多かったのではないないだろうか。
近所のスーパーで「すあま」を売っていたので一つだけ買って食べてみたが、「ういろう」との違いがわからなかった。

「ういろう」といえば名古屋のういろうが有名だが、神戸にも「長田のういろ」(「長田のういろ」は「ういろう」ではなく「ういろ」)という美味しいういろうがある。



 赤いかまぼこのようだが、れっきとしたお菓子。





2005/8/4 東西南北

「神戸・大阪間では東西に走っている東海道線が、横浜・東京間では南北に走るので、阪神間の方向感覚に慣れている私は京浜間では方向感覚が狂ってしまうという話題を以前「今日の症状」に書いたが、東西に走る小田急や京王から新宿で南北に走る山手線に乗り換えるときも方向感覚がおかしくなってしまって、進行方向がどちらなのかわからなくなるときがある。

渡り鳥や鮭やミツバチなどは体内に地球の磁場を感知する生体磁石を持っていて方角を知ることができるようで、人間にも鼻孔後側の上方(じょうほう。かみがたではない。)の脳下垂体の前に地球の磁場を感知するセンサーがあるという説があるが、東西に長く南北に短い神戸で生まれ育った私は、どうも南北の方向を感知するセンサー機能が鈍いような気がする。

しかし、神戸人は南北の方向感覚が鈍くても、神戸市街にいる限り山が見えるほうが北に決まっているので、特に困ることはないのだ。
(東京では南北の方向感覚が鈍いと致命的。)



   
    山手・浜手コレクション。
神戸では方角を言うとき、北・南とは言わずに山手・浜手ということが多い。






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