東京弁は感染るんです
昼食などを何人かで食べに行くと、東京人はほとんど皆同じものを注文するのに対して、関西人はそれぞれ自分の食べたいものを主張する傾向が強いそうである。 私もこういうとき、人に合せようとは思わない。 また、店の人に「これは少々お時間がかかりますがよろしいでしょうか?」 と言われると、関西人は10人中9人は他のものに変更するそうである。 関西人のなかでも特に大阪人はこの言葉に弱いらしい。少しでも待つのが嫌なのである。 安い物を頼んで、これは少し時間がかかると言われたときには、少しでも高いものを注文させようとする店側の戦略かも知れないので、注意が必要かも。
法事の話題をもうひとつ。 法事といえば、関西では法事には黄白の水引を用いる。 東京ではこの黄白の水引を手に入れることが難しいが、関西ではコンビニにも売っている。 葬式には黒白、年忌・法事には黄白を使うが、京都では御所(公家)の作法を受継いで仏事にはすべて黄白の水引を用い、黒白の水引は使わないらしい。 黄色は黄泉の世界、浄土を現す仏の色なのだそうである。 京都は奥が深い。 なお、この三連休は法事のために帰省したのだが、この機会を利用して「東京弁は感染るんです」の関西オフ会を開くこともできて、楽しいひとときを過ごすことができた。 コンビニで売っている安物。安物でも東京ではまず手に入らない。
法事で京都の西本願寺に行った。 お寺の裏の花屋でおもしろい看板を見つけた。 「供花(おはな)とともに読経(おきょうさん)を 山口花店」 関西弁基礎講座第21講で「さん」付けにする言葉を紹介したが、京都ではお経にも「さん」付けをするらしい。 しかも「お経」ではなく「読経」にふりがなが振ってあるので、お経そのものではなくお経を読む行為に「さん」付けされるようである。 京都の言葉は奥が深い。 よく解らないが、何かありがたく感じる看板である。
電車の中に貼ってあった缶コーヒーの広告を見て思い出した。
関西では「コーヒー」のことを「コーヒ」と短く言うことが多い。 私の場合、東京弁が感染しているのかどうか、昔からコーヒーと発音していた。 今の若い世代の人が「コーヒ」と言うかどうかは知らないが、少なくとも私より上の世代の、特にオバチャン連中は「コーヒ」という人が多い。 しかし「コーヒー牛乳」はなぜか「コーヒ牛乳」ではなく「コーヒー牛乳」と言う。 他に伸ばす音を短く言う例では「関東煮」。「カントーダキ」ではなく「カントダキ」である。 そろそろ関東煮の美味しい季節になってきた。
「今日の症状」で書いた図書館で枝雀の『貧乏神』のCDを借りてきた。
怠け者でかみさんに逃げられてしまった男と、その男にとりついた貧乏神との友情を描いた落語作家小佐田定雄の名作である。 この話のなかに貧乏神がつまようじけずりの内職をする場面があり、貧乏神はつまようじの両端を削ってしまって「貧乏けずり」にしてしまうというクスグリがある。 「貧乏けずり」というのが妙に可笑しい。 「貧乏けずり」は全国共通語なのだろうか、それとも関西地方のことばなのだろうか。 昔は筆箱に1本ぐらいは貧乏けずりをした鉛筆が入っていたし、貧乏けずり用の赤と青が1本になった鉛筆もあったが、最近は普通の鉛筆もめったに見ない。 |